近畿大学(生物理工学部)に進学
落ちた大学・学部
大分大学(工学部)
関西大学(理工学部)
偏差値
受験時:55
(受験1年前:52)
大学受験失敗の理由
周囲との比較ばかりで自分を見失っていたこと
新卒で入社した企業・職業
ゼリア新薬工業株式会社・MR
大学受験時の詳細情報
現浪:現役
文理:理系
得意科目:国語
苦手科目:数学
1日の自習時間:10時間
大学受験の体験談
当時高校生の私は、地元では進学校と呼ばれる高校に入学し、1年生の頃から勉強漬けの毎日でした。
3年生になる頃には周囲の皆はそれぞれ志望する大学を決め、先生方は生徒たちのそれらの目標を達成させるために、より一層指導に熱が入っていました。
私もその流れに乗るべく文理の選択と志望大学を決め、ひたすらに周りに置いてかれないように勉強していました。
時間的には他の人よりも勉強した自信が今でもあります。
しかし、受験は多くの時間を勉強に割いたからといってそう簡単に上手くいくものではありませんでした。
夏休みが終わる頃には成績が伸びている者、伸びていない者の差が分かれてきていたように思います。
私は「伸びていない者」の方でした。
非常に焦りました。
投げ出したくなって泣いてしまう日もありました。
また担任の先生はというと「伸びている者」にしか目をやらず、偏差値の高い大学に行けそうな子ばかりに指導していました。
受験は戦争だというのが先生の口癖でした。
あの時、成績が伸びなかった私に見向きもしなかった先生、今でも思い出すと腹が立ちます。
そんなことを言っていても受験の日は近づいてきます。
塾にも通い、学校の講習にもほぼ全て参加していました。
準備万端、とはいえないものの私自身これ以上はもう勉強できないと思えるまで勉強しまくりました。
センター試験当日。
会場は同じ高校の人ばかりだったので思った以上に緊張はしませんでした。
これさえ終われば第一関門は突破だ、もうすぐ受験も終わると少し浮かれてさえいました。
センターは無事終わり…少しホッとして帰宅しました。
夜中に予備校の採点が発表になり自己採点を行いました。
全ての科目で自己最低点。
目の前が真っ暗になりました。
その日はもちろん一睡もせず一晩中泣き続けました。
翌日学校で自己採点結果を持ってリサーチをかけてもらわないといけません。
泣いて目が腫れ上がってる状態で学校へ行き、いざリサーチ。
志望大学は全てD、もしくはE判定で絶望的な状態でした。
その後すぐ担任との面談もあり、「これじゃ、どこにも行けないね」という冷たい一言でした。
そこからはあまり記憶にはないですが、泣き続けて学校を早退し、その後一週間学校に行きませんでした。
先生にも友達にも会いたくありませんでした。
なぜならこんな成績で馬鹿にされると思ったからです。
本当に本当に悔しかったですが、センター試験で滑ったことで志望大学は全て諦めました。
滑り止めで受けていた私立の大学に行くことに決めました。
周りの友達からは「そんな大学に行くの?」と嘲笑われました。
それでも私には浪人という選択肢はなかったのでそこに行くことに決めました。
あの大学受験から7年経ちました。
今でもあの悔しい思い出を忘れることはありません。
しかし、その失敗があったからこそ今の私がいると思っています。
今でも何かしら失敗することはあります。
それでもあの大学受験の失敗があったからこそ、それを乗り越えれば、また次の何かがやってくるということを私は知っています。
受験生へのアドバイス
受験は戦争だ、その通りだと思います。
友達や先生、親でさえも受験となれば血眼になって挑んでいます。
それでも、周りに煽られすぎることなく数年後の自分が大学受験の時、よく頑張ったなと思えればそれで良いと私は思います。