同志社大学(工学部)に進学
落ちた大学・学部
同志社大学(工学部)
関西大学(工学部)
立命館大学(理工学部)
近畿大学(工学部)
偏差値
受験時:64
(受験1年前:43)
大学受験失敗の理由
目標を立てず、勉強に本気で取り組んでいなかった。
新卒で入社した企業・職業
(株)工進
大学受験時の詳細情報
現浪:浪人
文理:理系
得意科目:物理
苦手科目:化学
1日の勉強時間:5時間
大学受験の体験談
高校3年の時点の始めには、”とりあえず、どこかに合格するだろう”と軽く考え、勉強に時間を割かずに友人と遊んでばかりいました。
進学塾には通っていましたが格好だけで、授業の内容はほとんど頭に入っていないような状態でした。
日頃の勉強については、教科書や参考書を1時間くらい”読んだ”後すぐに休憩といってゲームをしたり漫画を読んだりしていました。
練習問題に取り組む時も、分からなければすぐに解答集の模範解答を見て、なんとなく分かった気になっていました。
このような勉強をしていたので学習内容がほとんど理解できておらず、高校3年の1学期での中間・期末試験の成績も塾の模擬試験の結果は散々なものでした。
夏休みに入り、さすがに危機感が出てきたので1日の学習時間は増えたのですが勉強方法は相変わらずで内容をほとんど理解できておらず、時間が増えても成果には結びつきませんでした。
また、夏休みは時間が多くあるので油断し、1日くらい良いだろうと友人たちとも遊んでいました。
(実際には夏休みの半分くらいは友人たちと遊んでいたと思います。)
そのような状態で2学期始めに塾の模擬試験を受けたのですが、偏差値は40~50の間で、志望大学(偏差値が高いところばかり狙っていました)の合格判定がA~E判定ですべてEというなっておりました。
さすがに、このころから焦り始めて勉強に集中するようになりました。
学習方法は、教科書や難しそうな参考書の内容と練習問題集の模範解答をひたすら丸暗記するというものでした。
暗記すれば成績も上がるだろうと考えていましたが、まず膨大な学習内容を短時間で丸暗記することは非常に困難で、内容を理解していないので試験で応用問題を出されるとまるで歯が立たない状態でした。
勉強に多くの時間を割きましたが成果には結びつかず、2学期終わりの段階で偏差値はようやく50になるかならないかのレベルで大学の合格判定もDやEばかりでした。
冬休みから受験当日までの間は、半ば絶望的な気分でこれまで貯めてきた膨大な量の学習内容の暗記と難易度の高い問題集や大学の赤本の解答集を暗記するような勉強を続けました。
毎日徹夜に近い状態で泣きそうになりながら勉強を続けましたが、最後まで結果に結びつくことはありませんでした。
受験の結果、受けた大学は全て落ち浪人することになりました。
受験を失敗したことで、両親や親類から激しく叱責され、私自身も自分のした間違いを深く反省し、”必ずこの失敗を挽回する”という強い決意が芽生え、浪人生活をはじめました。
まず、受験する大学を理系の私立大学(関関同立)に絞り、家にいては勉強に集中できないと考え親に無理を言って予備校の寮に入りました。
なお、予備校に入ってすぐの偏差値は43でした。
予備校の寮では、テレビは食事の時のニュース以外は見ず、ゲーム・漫画等の娯楽を一切断ち勉強のみに集中できる環境をつくりました。
予備校では関関同立コースを選択し、授業には全出席し予復習を欠かさず行うようにしました。
勉強の方法も以前のような丸暗記方式ではなく、教科書の内容を理解し問題を解く際も安易に解答を見ず、極力自分で解くようにしました。
分からなくて解答を見る際も暗記ではなくどういう公式でその回答が導かれるのかを考えながら学習を進めました。
教科書は関関同立に絞った内容となっており、内容をしっかり理解する気持ちで学習しました。
内容を理解していたので応用問題も解けるようになり、夏休みの段階で偏差値が60を超え、その状態をキープし続け、念願であった同志社大学・立命館大学に合格できました。
受験生へのアドバイス
目標をしっかり決めることが重要です。
ただなんとかく周りが受験するから、という安易な気持ちでは勉強に身が入らず、すぐに娯楽のほうに気持ちが傾いてしまいます。
”難関大学に必ず合格する”、”この職業に就きたいから絶対にこの大学に合格する”など強い目標を持つことが勉強する意欲を維持するのに必要です。
また、目標は具体的であればあるほど良いと思います。
私の場合は、”1年目の失敗を必ず挽回し、関関同立に合格する”という目標を立て、それを実現するという強い気持ちを持って日々の勉強を着々と行ってきたので結果を出すことができたと思います。