法政大学(経営学部)に進学
落ちた大学・学部
青山学院大学(経営学部)
青山学院大学(経済学部)
偏差値
受験時:60
(受験1年前:50)
大学受験失敗の理由
甘え。
新卒で入社した企業・職業
積水化学工業・事務
大学受験時の詳細情報
現浪:浪人
文理:文系
得意科目:英語
苦手科目:国語
1日の勉強時間:12時間
大学受験の体験談
私の父親は、高校はその地域で1番の進学校を卒業し、大学を出て、自分で決めた道を確実に進んで今に至る人です。
だから何をするのでも自分が1番、自分のすることが全て正しいという人でした。
そんな父親に家族は誰も逆らうことができませんでした。
しかし私は、父親に反発しながら毎日を送っていました。
さかのぼること中学3年生の時。
父親の卒業した高校は嫌だったけど、そこへ行かないと父親を超えることはできないと考えて、私もそこを目指していました。
私なりに頑張りましたが、不合格でした。
父親には鼻で笑われ、何も言われませんでした。
それが返って辛く、そして仕方なく工業高校に進学しました。
しかし、まだ挽回のチャンスは大学進学にあると思い、頑張りました。
私には、どうしても行きたい大学がありました。
そして、そこは父親が行ったところよりランクが上になります。
高校3年生になり、父親に大学の話をすると、「お前は正気か」と聞かれました。
無理もありません。
進学校からその大学に進むのも難しいのに、工業高校からならなおさら難しくなります。
でも、その時の私は真剣でした。
実力は、模試でも判定はいつも最低ランクでついてきません。
しかし、私はめげずに受験しました。
私立だったので、受験できるチャンスをフルに活用しました。
受験日初日こそ緊張しましたが、あとは慣れてきて、自分でも合格発表が待ち遠しく感じました。
が、世間はそんなに甘くありません。
全ての受験日分の合否判定を見ると、全てに不合格の文字が表示されました。
全身の力が抜け、涙が止まりませんでした。
悔しくて泣くだけ泣いたあと、父親と話をしました。
父親は、仕方ないから自分のやっている会社で働けと言いました。
しかし私は、もう一年頑張りたいことを伝えました。
しばらく考えた父親は、「わかった」と言いました。
意外でした。
絶対父親には反対されると思っていただけに拍子抜けしてしまいました。
それから数日後のことです。
家に大学生がやってきました。
それは父親が見つけてきた家庭教師でした。
その大学生は、地元大学の医学部の学生でした。
父親からは、「この一年でなんとかしろ」と言われました。
家庭教師とは年齢も近いことから、すぐに打ち解けることができました。
しかし、模試の結果は思うように伸びません。
そんなある日のとこです。
家庭教師から志望校の見直しを提案されました。
私は嫌でした。
身の程知らずだけど嫌でした。
しかし家庭教師は、話を続けます。
この大学だったらどうかと提案をされました。
なんとその大学は父親が卒業した大学です。
とても嫌でした。
ところが家庭教師は言いました。
「なぜ大学に進学したいのか」と。
「やりたいことがあるからでしょう。
そのやりたいことがどれ程充実しているか、選択肢が広がるかを見たら答えはわかるよね。」と、ひもを解いていくように話は進みました。
今までへんな意地を張っている自分に気がつきました。
今、志望校を変えたとしても決して楽な道のりではないことや、これからの様子を見ながらまだ志望校を検討する可能性もあることなどいろいろ話しました。
家庭教師だから素直に話すことができたのかな、自分の進路についてこんなに話したのは初めてのことでした。
私は家庭教師の言うとおり、志望校を変更しました。
先の見えない戦いが続くなかで、その後なんとか志望校を変えずに受験日を迎えました。
やるだけのことはやったと自分に言い聞かせ、受験に挑みました。
受験生へのアドバイス
私の場合、自分のレベルを最後まで理解することができなかったことと、妙なプライドが邪魔をしたことが最大の敗因だと考えます。
自分を見つめるということは難しいことで、今もできてはいない部分もあると思います。
しかし受験は、自分のことを見つめるきっかけにはなると思うので、しっかり自分のことを考えて下さい。